池田信夫教授のコメントについて

上武大学大学院の池田信夫教授は週刊ダイヤモンドで連載された公益資本主義の論文に対し、ブログに批判を掲載しています。第一に批判しているのはゲーム理論の事例ですが、ゲームの設計の正しい理解に基づいていない批判です。

ダイヤモンドの論文に載せているゲームは、通常の囚人ディレンマではなく、企業のイノベーション活動を説明するためのゲームです。そこで、論文に記述の通り、「従業員と投資家の各プレーヤーはそれぞれ二万円の価値・・・を事業に投入する」(1017日号:136ページ)という背景があります。この事例では二人のプレーヤーが協力しなければイノベーションが生まれないという前提をおいておりますので、「裏切る」を選ぶプレーヤーがいると、投入された価値が吸い取られるだけです。例えば、一人のプレーヤーが「協力」を選択し、一人のプレーヤーが「裏切る」を選択すると裏切ったプレーヤーが投入された価値の全てをもらい、協力したプレーヤーは投入した価値を失います。従って、前提からゼロ・サム・ゲームになります。二人のプレーヤーが「協力」を選べば、イノベーションが成功し、新しい価値が生まれ、投入した価値を上回るプラス・サムの結果になります。

このゲームはウォートン・スクールのマリー・オサリバンのイノベーション論をベースに作りましたが、当然ながら企業のイノベーション活動をどこまで正確にモデルできているかについては議論する余地があると思います。

また、池田教授の下記のご指摘について、簡単にお答えしたいと思います。

「すべての関係者が満足できるプラスサムゲームを目指すことが経営者の責任である」という文章も意味をなさない。

このご指摘に賛同する経済学者はミルトン・フリードマンを始めに数多くいると思います。なお、ジェフリー・フェッファー、ヘンリー・ミンツバーグなどの著名な経営学者は、「ステークホルダー型経営」を重要視しています。そして、ハーバード・ビジネス・スクールのラケシュ・クラナ教授は、こうした責任を経営者に持たせる可能性について、丁寧に研究をしています。ご関心のある方は「マネジャー版『ヒポクラテスの誓い」をご参照下さい。

それを実現する「制度設計」として原氏の提案する「利益を公平に分け合う公益資本主義」なるものも、具体的な内容のない美辞麗句を連ねただけだ。

無駄なゼロ・サム・ゲーム(再配分活動)を抑制し、プラス・サム・ゲーム(生産的な活動)を促す制度(インスティテゥーション)は、社会の繁栄において極めて重要であること、経済学ノーベル賞受賞者のダグラス・ノース教授の研究から明確です。こうした制度設計はまだ未熟な分野で研究が必要ですが、週刊ダイヤモンド10月10日号のコラムでは原氏がいくつかの具体的な提案を出しています。

漠然と「長期的な協力が必要だ」というが、かつて「長期的視野の経営」として賞賛された日本的経営が、どういう末路をたどったか知らないのだろうか。

日本的経営の権威のジェームズ・アベグレン先生は私の恩師でした。この研究で目指していることは、日本的経営の復活ではなく、日本の経営とアメリカの経営から学んで、新しい経営理論を構築することです。

公益資本主義の発想はまだ若いので、これから経済、経営、法律、政治、組織、イノベーションなどの専門知識を反映させていくことが重要だと考えています。引き続き、活発で有意義なディスカッション、どうぞよろしくお願い致します。

Share on Google+Share on LinkedInTweet about this on TwitterShare on FacebookPin on Pinterest

8 thoughts on “池田信夫教授のコメントについて

  1. カールバーグ

    はじめまして、カールバーグです。
    池田さんのブログから、来ました(笑)。
    原さんの公益資本主義には、強い関心を持っています。
    ブルナーさんみたいに、日本語のとてもうまいHBSの中の人もいるんですね(笑)
    原さんがハーバード大学の中に、公益資本主義の研究所をつくるとか言ってましたが、その関係の方でしょうか?

    A Futurist Blog
    http://ft2007.blog112.fc2.com/

  2. David James Brunner

    カールバーグさん、コメント有難うございます。公益資本主義は、ハーバード大学の研究者、原丈人氏、アライアンス・フォーラム財団、東京財団の共同研究です。

  3. 学生

    ゲームの設定が作為的過ぎるのではないでしょうか。
    イノベーションの発生条件も単純化出来るものでしょうか。

  4. David James Brunner

    学生さん、ご質問有難うございます。このゲームはあくまでも個人の利益とシステム全体の「公益」とが対立する可能性を説明するために用いているだけです。この単純なモデルではイノベーションを完全に説明することはもちろんできませんが、多くのイノベーションはこうした側面があるのではないでしょうか。新型ジェット機、次世代通信システム、電子マネー、スマート・グリッドなどの複雑なイノベーションは、多くのプレーヤーが協力しなければ実現できません。例えば株主や債権者など資金を提供するプレーヤーの長期的な協力が不可欠です。

  5. 佐藤秀

    >前提からゼロ・サム・ゲームになります。

    この場合、「ゼロ・サム・ゲーム」というより、単に「ゼロ・サム」なんじゃないでしょうか。ゲーム全体の中で「ゼロ・サム」になる場合があるというだけですから1ケースだけを「ゼロ・サム・ゲーム」と称するのは誤解されやすい気がします。
    だってゲーム全体は最初から「ゼロ・サム・ゲーム」を前提してないんでしょう。
    英語の場合はどうか知りませんが、日本語で読むとどうしても混乱が起きると思います。

  6. David James Brunner

    佐藤さん、確かに誤解を招く言い方をしてしまったのかも知れません。おっしゃる通り、このゲームの中に、ゼロ・サムのケースとプラス・サムのケースが両方存在するのですね。各ケースを一つのサブ・ゲームとして考えていますので、そのサブ・ゲームがゼロ・サムだという意味で「ゼロ・サム・ゲーム」と言っていましたが、このことを明確に説明しませんでした。ご指摘を参考にしながら考えさせていただきます。ご丁寧なコメント、どうも有難うございます。

  7. ずろちこるな

    こんにちは。池田さんのブログから来ました。自分は経済学はまったくの素人なのですが、以下のような疑問を抱きました。

    >「従業員と投資家の各プレーヤーはそれぞれ二万円の価値・・・>を事業に投入する」

    この場合、「投資家が投入する価値」とは、手元にある資産を売却して用意するものであるため当然、事前に評価が可能です。それに対して「従業員が投入する価値」はどうでしょうか?医薬品ベンチャー企業を例にあげると、新薬開発に失敗して何も製品を生み出せない場合もあるし、成功して多額の売り上げをあげるとともに社会全体に大きな福音をもたらす場合もありますが、どちらになるかは事前には分かりません。従業員が提供する労働の価値は、事業を実際にやってみない限り、不明です。
    ですから、「投資家が投入するのと同じだけの価値を従業員が投入する」という前提自体が成り立たないように思います。

  8. T

    同じ価値であるかどうかは本筋とほとんど関係ないじゃん
    てかそんな細かいこと言い出したら設定につっこみどころなんていくらでもあるんだから、「アクションに対して利潤がどういう動きをするか」だけを見るべきなんじゃないの。

Comments are closed.